両馬川旧跡
山陽電鉄「人丸前駅」横の高架下には両馬川旧跡があります。
寿永三年(1184年)の一の谷の合戦において、平家方の平忠度(たいらのただのり)と源氏方の岡部忠純(岡部六弥太)が両馬川で戦いました。
この戦いで平忠度は討死します。
平忠度は清盛の異母弟です。
両馬川とは現在の明石市天文町付近で、この地には両馬川旧跡の他に忠度塚、腕塚神社、忠度公園などが残されています。
両馬川旧跡について、明石市教育委員会の説明板には次の様に書かれています。
両馬川旧跡(りょうまがわきゅうせき)
一、寿永三(1184)年二月、一の谷の戦に敗れた平家軍の通過地である。
一、平忠度(たいらのただのり)が岡部六弥太に追いつかれ、二人の馬が川をはさんで戦ったので「両馬川」という名前がついたと伝えられている。
明石市教育委員会
山陽電鉄「人丸前駅」です。
山陽電鉄「人丸前駅」横の高架下に両馬川旧跡の石碑があります。
山陽電鉄とJRが並行して走っており、両馬川旧跡の石碑はJR高架下部分にあります。
両馬川旧跡です。
■両馬川旧跡
名称 | 両馬川旧跡(りょうまがわきゅうせき) |
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住所 |
〒673-0875 明石市大蔵天神町15 |
アクセス | 山陽電鉄「人丸前駅」下車。 |
■両馬川旧跡 Googleマップ
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